ショートカットのアイドル

アイドルといえば、黒髪のストレートロングヘアの子が多いイメージがあるかと思います。
やはり女の子としてはロングの方が好きなのでしょうか。
そんな中でも、ショートカットのアイドルもたくさんいます。

ショートカットの髪型は、髪型自体のフォルムが綺麗であるのと、顔が隠れないので表情がよくわかりますし、健康で明るく活発な雰囲気が出ます。
そして長い髪でごまかせないので、顔の美しさが際立ちます。
ショートカットが似合うのは、美人の証だともいわれます。

ショートカットのアイドルの歴史を振り返ってみると、特に印象的だったのは、90年代にブレイクした内田有紀さんと、広末涼子さんではないでしょうか。

内田有紀さんは中学校在学時からモデル活動やCM出演などをしていました。
1992年のテレビドラマ「その時、ハートは盗まれた」への出演で女優デビューし、ショートカットが印象的で人気アイドルとなりました。

広末涼子さんは、1994年に第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを受賞し、翌年1995年にデビューしました。
1996年、に出演したNTTドコモのポケベルのCMで社会現象となるほどの注目を集めて、一躍トップアイドルになりました。
あどけなさと透明感を持ち、人気がありました。

内田さんと広末さんの二人は、デビュー当初の受け入れられ方がとても似ていました。
ショートカットのボーイッシュなアイドルとして登場し、少年と少女の間のような中性的な魅力で一世を風靡しました。
普通のアイドルや女優の人気とは違った熱狂を持って、向かえ入れられたように思います。

それから、元乃木坂46の生駒里奈さんは、グループの初期の頃にセンターを務めてきて、ボーイッシュな黒髪ショートカットが特徴で有名でした。
かわいくてクールな見た目とは対照的に飾らない人柄で、グループを引っ張っていきました。

欅坂46の平手友梨奈さんは、グループのセンターで、結成当初からショートヘアが特徴でした。
ボーイッシュな妹のような感じでしたが、作品を追うごとに大人っぽくミステリアスな存在になってきて、独特のオーラを持っています。

デビュー当初からショートカットのアイドルもいますが、イメージチェンジで、バッサリと髪を切ったアイドルもいました。
松田聖子さんは、デビューして2年ほどで定番の聖子ちゃんカットをバッサリと切りました。
薬師丸ひろ子さんは、主演映画「セーラー服と機関銃」でボーイッシュなショートカットになり話題となりました。
小泉今日子さんは、デビュー3年目の人気絶頂時に事務所に無断でショートカットにしてしまいました。
当時、人気アイドルがショートヘアにイメチェンしたのは衝撃だったと思います。

近年では、アイドルが多様化する中にあって、ヘアスタイルも変化してきました。
グループアイドルがほとんどで、メンバー同士の差別化を図るために、髪型も多様化しています。
ロングヘアで活動していたけど、ショートヘアにしたらブレイクしたというアイドルやタレントも多いそうで、気合いを入れて髪型を変えると気持ちも変わるのかもしれません。

路上ライブ

アイドルを目指す人や、アイドル活動を始めた人は、路上ライブをやってみたいと考える人も多いと思います。

路上ライブとは、歩道や公園、駅前などの公共の場所で、音楽の生演奏などのライブを行うことです。
ストリートライブともいいますね。
アマチュアやデビュー間もない知名度の低いアーティストなどが、あまり費用をかけずに自分たちの曲を知ってもらうための手段として行われます。

ももクロが 2008年の結成当時、東京の代々木公園で路上ライブを度々行っていたのは有名な話だと思います。
ももクロの路上ライブは経済的な理由から始まりました。
定期的にお客さんの前でライブをやって、経験を積みたいけれど、専用の劇場を持つにはそれなりに資金がかかるので、解決策としての公園での路上ライブだったのです。
さらに集客の難しさを知るため、ライブの告知のチラシ配りもメンバーがしていたそうです。

初めて路上ライブをしようとする時は、分からないことも多く、不安があると思います。

路上ライブを行う時には、いくつか注意点があります。

道路、歩道などの公有地で路上ライブを行う場合は、警察に道路使用許可をとる必要があります。
駅の構内や公園などの私有地で行う場合は、その場所の管理者・所有者に許可を取る必要があります。

そして、ライブでの演奏には音を伴うので、それを騒音と感じる人もいます。
また、周りに人が集まってくることで、通行の邪魔になってしまうこともあります。
もしも警察や管理者・所有者に注意された場合は、その指示に速やかに従うことが必要です。

路上ライブを行うには注意点もありますが、メリットもあります。

ライブハウスなどでは会場の使用料などが必要になりますが、路上ライブでは、そういった費用をかけずに人前でライブの経験を積むことができます。

場所や時間を自由に選ぶことができるので、思い立った時や、少し時間ができた時に、ライブができます。

ライブを観て気に入ってくれたお客さんから「投げ銭」をもらったり、CDやオリジナルグッズなどの商品を販売してお金を稼ぐこともできます。

ただし、デメリットもあります。
道路や公園などはライブをするために作られた場所ではないので、音響設備がなく、出せる音量や利用できる機材が限られてきます。

急に天気が変わって雨が降り出したり、何らかのアクシデントなどでライブができなくなる可能性もあります。

路上ライブを行う時のコツとしては、例えば、事前に路上ライブの告知をSNSで発信したり、チラシを配ったり、という方法があります。
路上ライブを行っている時には、名前とキャッチコピーを書いた看板を出しておくのがいいでしょう。
それから、同じ場所、同じ曜日、同じ時間帯に行うのが効果的だと思います。
その場所を同じ時間にいつも通る人に印象付けて、興味を持ってもらいやすくなります。

アイドルというのは、ほとんど下積みを経験しないでスターになってしまうこともあるものです。
けれど、目標に向かってライブの経験を積み、日々を楽しみながら成長していくのは、貴重な時間となると思います。
最初は路上ライブなどで活動をしてみるのも一つの選択でしょう。

制服風の衣装

現在の大人数アイドルグループの衣装として、制服風の衣装は今やスタンダードなものになっています。
アイドルの衣装を多くの人がアイコン的に認識するようになり、衣装ブームの先駆けとなったのはAKB48がはじまりでしょう。
当時、制服をベースにした赤いチェックが印象的な衣装は、真似したくなるダンスと共に人気を博しました。

制服風の衣装がもらす効果として考えられるのは、中学生、高校生のメンバーが中心のグループにおいてその魅力をさらにアップさせることでしょう。
制服衣装は、10代の女の子の可愛らしさや清楚さを際立たせて、特に男性ファンの心をくすぐる要素は大きいと思います。
また、女性のファンにはアニメなどの2次元世界に出てくるような可愛い制服が好きな人も増えていて、リアルな可愛い女の子が可愛い制服を着ている姿を見るのが好き、という人も多いと思います。
それから、アイドルをより身近な存在に見せるという効果もあります。

アイドルグループの制服風の衣装が始まったのは、大人数グループの先駆け的な存在で
1985年にデビューしたおニャン子クラブ からのようです。
おニャン子クラブがレギュラー出演していたテレビ番組の「夕やけニャンニャン」は、女子高生の放課後のわちゃわちゃ感が魅力で、デビュー曲の「セーラー服を脱がさないで」をはじめとして、楽曲も女子高生たちの日常を描いたものが多かったです。

制服を本格的に歌衣装に取り入れたのは、アイドル冬の時代の最中、1992年に結成された「制服向上委員会」でした。
その名の通り、制服を可愛く向上させることを目標に「清く正しく美しく」を活動スローガンとし、翌年93年にデビューしました。
ライブをはじめ活動にあたっての衣装は制服で、当時はとても斬新でした。
スカート丈や着こなしは清楚で、ステージ衣装というよりも、本当の学校制服にしてもおかしくないような、制服姿で活動しているのが特徴でした。

現在も制服風の衣装で活躍しているアイドルグループは数多く存在しています。
華やかな制服風衣装から、清楚な雰囲気なもの、アニメ的なもの、そしてリアルな制服に近いものまで、各グループの個性を象徴した衣装が多く生まれています。
アイドルにとって、衣装とは単に身に纏うものという役割を超えて、衣装を着ることでアイドルになれる、という程に、とても重要なものです。
それぞれ様々な想いがこもった衣装は今後もアイドルシーンを盛り上げてくれると思います。

アイドルの聖地「中野サンプラザ」

東京、中野区にある中野サンプラザは、これまでに数多くのアイドルやアーティストがライブを行なってきて、伝統あるコンサート会場として全国的にも知られています。
1973年に開業してから、中野の顔となるビルです。

客席は2222席で、音響が素晴らしいのはもちろん、客席の傾斜が絶妙で一番後ろの席からでもステージがしっかり見える、ちょうど良い大きさのホールです。
さまざまな演出が行える会場で、アイドルやアーティストが中通路に降りてきてパフォーマンスすることもあり、距離感が近いのも魅力です。
中野は交通の便も良く、立地の良さも特徴です。

建物内には、コンサートホール以外にもさまざまな施設が入っています。
レストラン、ホテル、結婚式場、ボウリング場、インターネットカフェ、プール、テニスコート、フィットネススタジオなど、さまざまな施設があります。
食事のとれるところやホテル、インターネットカフェがあるのは、地方からライブに来たアイドルファンには便利なホールだと思います。

中野サンプラザは多くのアイドルがライブを行なっている「アイドルの聖地」として、長く親しまれてきました。
アイドルがこの会場を満席にできれば、ブレイクの証と言われていました。
武道館に続く一つ前のステップとして、会場に選ぶグループも多く、登竜門的なホールと言えます。
モーニング娘。や℃-uteなどが所属するハロー!プロジェクトは数多くの公演を中野サンプラザで行なってきたのも有名です。

長く愛されてきた中野サンプラザですが、東京都中野区は、中野駅周辺の再開発の一環で、老朽化の進んだ中野サンプラザを2024年度前後に取り壊すと発表しています。
跡地には、現在の中野サンプラザの名称や形状を引き継いで、収容人数3000人から7000人を想定した多目的ホールを建設する計画があがっています。
中野サンプラザでライブをすることを目標にしているアイドルグループも多いと思いますし、取り壊しは、アイドル業界にも大きな衝撃が走っています。

2000人前後の客席のコンサートホールは意外と珍しく貴重で、同じような大きさの会場というと、東京都渋谷区の渋谷公会堂があります。
渋谷公会堂は4年前からの建て替えが終わり、通称は「LINE CUBE SHIBUYA」に決まって、今秋オープンする予定のようです。

サンプラザという名称の同じような施設は各地にいくつかあるのですが、中野サンプラザはとりわけ地域に愛されていて個性的で、解体されるのは寂しいという人が多いです。
歴史もあり、建物自体も中野を象徴するものでしたし、跡地にはまた新しい建物ができるとはいえ、それでもなくなってしまうのは残念だという声が多いようです。
主役はアイドルやアーティスト、そしてそこで行われるライブなのですが、思い出の場所としてその「箱」にも愛着がわいてくるものです。
これから新たな装いでランドマークとなる姿を見守っていきたいですね。

令和のアイドル

時代の移り変わりによって、人々の価値観や世間の求めるものは変わってきます。
アイドル像も時代の流れによって変わってきました。
新時代、令和ではアイドルの在り方にどんな変化があるのでしょう。

もともとのアイドの意味は「偶像」、あるいは「崇拝される対象」という意味です。

昭和のアイドルといえば、松田聖子さん、中森明菜さん、小泉今日子さんなど個人の存在が目立っていました。
アイドルは手の届かない存在で、清純というイメージが共通してありました。

時代が平成期の90年代に入ると、アイドル冬の時代を経て、グループアイドルが人気を博す時代になってきました。
メンバーの卒業、新加入といった新陳代謝が当たり前になり、より身近な存在として、アイドルとして成長していく過程を応援するものになり、アイドルの在り方が大きく変わったと思います。
そして、それからは地下アイドルやご当地アイドルなど様々なアイドルが生まれ、アイドルによって地域活性化や街おこしを行うのも一般的なものとなっています。
個性豊かなアイドルグループは次々に結成され、一気にアイドル全盛期を迎えました。

気軽にアイドル活動を始められるようになったのも大きな変化だったと思います。

平成から令和へと時代が変わった今、どんなアイドル像が求められているのか、誰がスターになるのか、答えを出すのはとても難しいのですが、考えてみるとするなら、TwitterやInstagramなどのSNSを駆使して、自分を発信していくことは大事だと思います。

今ではYouTubeやSHOWROOMなどで動画配信も誰でも手軽にできるようになりましたし、自分の魅力を自分で発信するセルフプロデュースができるのは強みになると思います。

自分を魅せていくこと、発信力を持っていることは、これからの時代に必要な気がします。

それから、視聴者の方、観客の方にはもちろん、共演者の女優さんや芸人さん、大御所の方から若手の方にまで、愛される人柄も大事だと思います。
アイドルなので、見た目がかわいいということは大切なことです。
でも芸能界にはかわいいアイドルはたくさんいますし、それ以上に、また一緒に仕事がしたいと思われるような人柄は大事でしょう。

ほかには、バラエテイ番組や音楽番組など、多方面で活躍できるようなトーク力も武器になるでしょう。
積極的に発言することはもちろん良いのですが、自分が自分が、となりすぎず、周りに気を配りながら、存在感を発揮できるといいと思います。

アイドルグループに所属しつつも、個人としての力をつけていくことは大事になってきそうです。
これからアイドルとして上を目指していこうというときに、個人の魅力は鍵になるのではと思います。

現代社会を言い表す言葉の一つに多様性というのがあります。
ファンのニーズが多様化することで、アイドルの形もおのずと多様化していっています。
いつの時代も求められているのは、時代の変化に柔軟に対応できる人なのではないでしょうか。
令和を象徴するような新たな魅力を持ったアイドルが現れるのが楽しみです。

アイドルと野球

アイドルグループと野球チームには意外と共通点が多いように思います。

アイドルグループを応援するのと、プロ野球のチームを応援する感覚は似ていると思います。
ファン層が似ていて、アイドルを好きな人は、野球観戦にもハマる気質を持っているのではないでしょうか。

アイドルのライブ会場と野球の球場では楽しさや盛り上がり、熱い一体感など似ているところがあります。

ライブでのコールと、球場での応援歌も似ています。
ライブでコールをして、一緒に盛り上がって、楽しい気持ちや応援をアイドルへ届けると、アイドルも歌やパフォーマンス、笑顔や言葉で返してくれます。

野球では選手に応援歌や声援でエールを届けると、選手がプレーでの活躍や笑顔、言葉でそれを返してくれます。

アイドルも野球も、熱い声援を送るファンとの関係性が育まれています。
ファンの存在は感情を共有して、支え合う存在でもあると思います。
アイドルも選手もファンを笑顔にできる存在ですし、ファンもアイドルや選手を笑顔にできる存在です。

アイドルも野球チームも、メンバーや選手が加入したり、卒業、退団したりというのがありますが、一度グループやチームのファンになると応援を続ける人が多いと思います。
ファンとしての期間が長くなるほど、グループやチーム全体への愛着が湧いてくるのは同じなのでしょう。

アイドルも野球もメンバーや選手たちはそれぞれそのステージ、試合に立つまで多くの苦労があっただろうと思います。
一人ひとりにそれまでの物語があって、そしてまた新しい物語を紡いでいくのです。

アイドルは推しをグッズで応援できます。
野球も球団にはよりますが、公式でグッズを用意しているところもあり、球場で売っているのでライブ物販のような感じがします。
自作グッズやうちわを持っている人もいます。

野球をする人は声援がない状態では孤独を感じる、と思うこともあるそうです。
声援が選手を後押しするように、アイドルも声援でテンションが上がるといいます。

また、試合に向けてトレーニングをしたり、ライブに向けてレッスンをしたり、試合前やライブ前の気持ちやそこに臨む想いも似てるのではないかと思います。

アイドルや選手たちからしてもシンパシーを感じるところがあるのか、野球ファンを公言しているアイドルもいますし、アイドルファンを公言している選手もいますね。

アイドルも野球選手も好きなことを仕事としてやっていて、自分がやりたいことをやっていているけれど、自分のためだけではなくて、誰かを笑顔にしたり、元気づけたりすることができるので、どちらも見てくれている誰かのためになっている存在なのではないかと思います。

アイドルとバンジージャンプ

アイドルが体を張った企画に挑戦する過酷なロケは、いつの日からかアイドルのバラエティ番組の定番となってきて、これまでにも数多くのアイドルが様々な企画にチャレンジしてきました。

その中でもバンジージャンプはシングルのヒット祈願で飛ぶという、アイドルではおなじみの通過儀礼のような企画となっています。

恐怖に打ち勝って涙ながらにバンジージャンプを飛ぶアイドルの姿は、感動する人も多いと思いますし、応援したいというファンの心を揺さぶるようです。

バンジージャンプがブレイクのきっかけとなったのが、元AKB48グループの指原莉乃さんです。
番組でバンジージャンプを飛ぶ企画があったのですが、恐怖で飛ぶことができませんでした。
リベンジしようと自分から希望してもう一度バンジージャンプの企画に挑むのですが、結局、2回目も飛べませんでした。
この時の飛べなかったことが逆に斬新で代名詞となる「ヘタレキャラ」が定着してブレイクしました。

高さ233メートルというマカオタワーのバンジーを飛んだのは、元乃木坂46の西野七瀬さんです。
西野さんは8枚目のシングルで初めてセンターになり、そのヒット祈願で行った企画でした。
大人しい印象の西野さんがバンジーを飛べるのか皆の予想を裏切るように、号泣こそしましたがジャンプの位置に立つとあまり時間をかけずにバンジーを飛んでしまいました。
バラエティ的にはある意味拍子抜けでもあったのですが、西野さんの覚悟が垣間見えた瞬間でした。
この時のバンジーを飛ぶ姿を見て、彼女を好きになった人も多かったのではないでしょうか。

ちなみに、数々のアイドルのバンジーの中で、一番の珍場面といえば、AKB48とSDN48の元メンバーの野呂佳代さんの水没でしょう。
オーストラリアでバンジージャンプに挑戦した時、なんと地上にあった池に水没しました。
体重申告でサバをよんだらしいです。

バンジージャンプは笑顔で楽しく飛べる人もいれば、飛びたくても飛べない人もいるものです。
怖いと思う気持ちは間違っていないし番組の企画であっても飛べないことは悪いことではないんです。
メンバーの新たな一面が見られるのもバンジーの企画の面白さだと思います。
ほとんど躊躇なく飛んでしまう肝が据わってる子や、怖くて極限状態になって発言が面白い子、最後まで飛べない子、いろんな子がいると思います。
飛べる子と飛べない子がいる方が企画的にはバランスがいいという風に見ることもできます。

アイドルにバンジージャンプのような体当たりなロケは必要なのかと思いますが、全く過酷でない企画やロケは面白みに欠けてしまいますし、過酷すぎても見ていて辛くなってしまいます。
飛べても飛べなくてもアイドルはいろんなドラマを見せてくれます。

こういった企画はアイドルの新たな一面が見れますし、バンジーを飛んだ時の怖さに比べたら、大抵のことは何でもなくなったという子もいるみたいです。
アイドルの活動をする中で、いろんな経験ができるのはいいのかも知れません。

アイドルと歌割り

歌割りとはボーカルが複数名いるときに、誰がどの部分を歌うか、また、誰がハモリを担当するかなどを決めることです。

アイドルの楽曲の魅力といえば、全員で同じ歌詞、同じメロディーを歌うユニゾンで、グループの一体感を出せるところがあります。
その一方、ソロパートで一人のメンバーの歌声を聴くことも同じくらい魅力のあることだと思います。
アイドルの歌割りは、アイドルのキャラクターにもとづいて、この歌詞を歌うのはこの子だと思う割り振りを考えて決められることが多いと思います。

歌割りの決め方は例えば、レコーディングの時は歌割りは決まっていなくて、レコーディングの後に決まるというケースがあります。
まずメンバー一人ずつで一曲全部歌って、それを聞いてプロデューサーやディレクター、レコーディングスタッフなどが、メンバーの雰囲気や性格を分かった上で、この歌詞はこの子のソロ、ここは2人パートに、サビは全員で、みたいな感じでパートを決めていきます。
また、音域や声質、歌の技術などで決める場合もあると思います。
この決め方だと、アイドルのメンバーたちもレコーディングした時点では、自分がどこのパートを歌うのかは知らない、ということもよくあるそうです。

それから、メンバーのそれぞれの声、歌い方を考慮して、歌割りを最初から決めているケースもあります。
それぞれの歌詞の部分のイメージに合いそうな子を声のキャラクターによってプロデューサーなどが割り振って決めます。

大人数グループの場合、ソロパートを平等にもらうことは難しくなってきます。
目立つ歌パートを担当することが多いのは、センターの子や、エース、キャプテンなど人気の高い子が多い傾向があると思います。
それと、歌が上手い子もやはり聴かせられるだけのテクニックがあるので、パートが割り振られることが多いと思います。
音程が安定していて、高い音も低い音も出せて、存在感のある歌声は、やはり重宝されます。

グループアイドルの特性上、メンバーの卒業と加入が繰り返し行われるので、メンバーが減ったり増えたりした時には、既存曲の歌割りが変わってきます。
その度に、卒業した子の分のパートを誰が歌うのかとか、新しい歌割りを覚え直さないといけないことになります。
以前のパートを歌いそうになったりすることもあるでしょう。

自分のパートをもらえるのは嬉しい反面プレッシャーもあって、責任を持って歌わないといけないし素直に喜べないかもしれません。
アイドルというのはただ楽曲を披露するだけではなく、メンバーそれぞれが個性を出して活動しています。
それぞれのキャラクターを持った子たちだからこそ、誰がどの歌詞を歌うかにすごく意味があって、偶然ではなく必然性を感じる、その子だけの歌詞になるのです。

ガールクラッシュ

ガールクラッシュとは、同性である女性が思わず惚れ込んでしまうようなかっこよくて憧れる魅力のある女性のことです。
もともとは韓国のアイドルグループに対して使われていた言葉で、日本へ入って来たようです。

韓国では特に強さが強調され、強くてかっこいい女性を表すことが多いです。
日本ではよく、男の子っぽい女の子をボーイッシュと表現しますが、ガールクラッシュはあくまでも、女性が憧れるような女性を指しています。

韓国の女性アイドルグループは、「ガールラブリー」と「ガールクラッシュ」の2つのジャンルがあります。
ガールラブリーは、女の子らしい可愛らしさを打ち出して、主に男性のファンがターゲットになっています。
少女時代やTWICEなどがガールラブリーといえると思います。

一方、ガールクラッシュは、女性から見て憧れになるようなかっこ良さを打ち出して、強い意思を持った歌詞やハイセンスなファッションで女性のファンが多いです。

韓国のアイドルのガールクラッシュの先駆者と言われているのが、「2NE1」です。
2NE1は、2009年にデビューしました。
当時は、2007年にデビューした少女時代などが大ブレイクし、いわゆるアイドルらしいアイドルが流行になっていました。

それに逆行したような男性に媚びない楽曲やファッションで、ガールクラッシュが出てきた最初のころは、男性に負けないような強さを表す傾向がありました。

その後、2NE1の妹分として2016年には「BLACKPINK」がデビューしました。
2NE1の強くたくましいイメージとはかなり変わり、おしゃれでかわいくて、若いファンのファッションの憧れとなるようなガールクラッシュグループです。
最近人気を集めいてるガールクラッシュグループは、強さというよりも、女性から見たおしゃれ、かわいい、を表しているようなアイドルが多いようです。

BLACKPINKの歌詞に出てくる女の子は、好きな男の子に気持ちをはっきりと表して、積極的に自分から仕掛けていく、強気な女の子です。
男の子に媚びるのではなく、派手なスタイリングやメイクも、セクシーでありながら、自分たちの強い意思を表しているように思います。

日本の女性アイドルグループが成長過程の未完成な女の子をコンセプトとしているのに対して、韓国で強い女性をコンセプトとしたアイドルが人気が高いのは対照的に思えます。
日本でもガールクラッシュの人気はあり、ファッション誌などでもガールクラッシュのファッションスタイルをしばしば見かけます。
力強くてかっこいい姿で女の子の気持ちを代弁してくれるガールクラッシュな存在は、未完成な女の子から成長して、自分らしく強い女性になりたいという気持ちの変化を表しているのかもしれません。

アイドルの親衛隊

1980年代は空前のアイドルブームに沸いていました。

当時のアイドルには「親衛隊」という熱狂的なファンがついていて、ステージで歌うアイドルに声援を送ったり、紙テープを投げて応援したりしていました。
ファンクラブや、追っかけと同じに見られがちなのですが、全く違う別の組織的な集団でした。

1970年代の中盤は、まだまとまりがなく、各アイドルごとに私設の応援団的なグループがいくつも存在していましたが、歌謡祭やコンサート会場でグループ同士の抗争が絶えませんでした。
そこで、一部のリーダー達をまとめることによって、アイドルの応援、護衛を目的とした横の繋がりの「関東親衛隊連合」を旗揚げしました。
これがいわゆる親衛隊の始まりとされています。

1980年代に入って、アイドル界が黄金期を迎えたのと同時に、親衛隊の活動も全盛期になりました。

親衛隊の応援スタイルの定番は、法被(はっぴ)にハチマキ姿と独特なものでした。
親衛隊の中で階級が上の人は法被に金糸銀糸で刺繍が入っていたり、ハチマキが長かったりしたそうです。

曲に合わせた掛け声による応援の「コール」はこの頃からありました。
現在のオタ芸の原点といえますね。
歌詞と歌詞の間にアイドルの名前を叫んだりする、合いの手が基本形でした。
1970年代の初め頃、ファンが自然発生的に叫んでいた掛け声が始まりのようです。

親衛隊が組織化されるにつれて、一定の応援コールを決めて、コール表が隊員に配られるという徹底ぶりで、コールを覚えるのは大変だったそうです。

こういった直接の応援の他にも、オリコンのチャートを上げるためにレコードを買ったり、テレビやラジオで曲をかけてもらうために、ハガキを書いたり電話リクエストをしていたそうです。

また、アイドルの護衛を行うこともありました。
テレビ局やラジオ局での出待ち、入り待ちの時に、カメラ小僧から守ったり、会場から移動の車までエスコートをしたり、無礼なファンからガードしたり、身辺警護を行っていました。

今の時代では考えられませんが、マネージャーの紹介で隊員や元隊員がそのまま芸能事務所に社員やマネージャー見習いとして就職したりする、などということもあったそうです。

それから、アイドルのイベントが多かった時代ですから、親衛隊の人数が足りず、他の親衛隊に手伝ってもらうこともありました。
手伝いにきた別のアイドルの親衛隊の隊員は 歌やコールを知らないので、会場の前で数時間くらい前からみんなで練習するという光景が見られたそうです。

1980年代に全盛期だった親衛隊も、時代が平成に変わり、1990年代に入ると姿を消していきました。
1990年代からは音楽が多様化して、アイドル冬の時代となり、公開歌番組や大規模のコンサートなどもほとんどなくなり、親衛隊としての活動場所、必要性がなくなっていきました。

親衛隊の存在は、今の時代から考えると、昭和のにおいのするとても独特な存在だったと思います。